不登校でも大丈夫
末富晶:著
岩波ジュニア新書
ISBN978-4-00-500881-0
小学3年生から不登校になり、中学卒業まですべての期間を学校へ行かずに過ごした末富晶(すえとみ・しょう)さん。
末富(すえとみ)さんがどうして学校へ行かなくなったのか。
「明確(めいかく)に説明(せつめい)することが出来ない」と、末富さんは書いている。
はっきりとは、わからないということだ。
どうして学校に行かなくなったのか、自分でもよくわからないけれど、とにかく「学校に行きたくない」と思った。
その日は学校を休んで、そして次の日も休んで、そしてそのまま、中学校卒業まで、末富さんが学校へ行くことはなかった。
「みんなが当たり前に行っている学校」へ行かないのは、とても不安だったし、これから自分の人生はどうなってしまうんだろうと、末富さんはもちろん思った。
だけど、大人になってから、「学校で勉強しなかったから困ったこと」というのは、なかったそう。
学校で、みんなと同じように勉強をしなかったけれど、ちがうやりかたでもちゃんと大人になれるし、社会で生きていくことができる。
そのことを、「学校に行けなくて苦しい思いをしている子たち」に伝えたいと考えて、末富さんはこの本を書くことにした。
この本では、末富さんが学校へ行かなくなってからどのように過ごしてきたのか、家族(かぞく)とどんなふうに話したのか、そして家族以外(かぞくいがい)の人たちとの大切な出会いがあったこと、いろいろな人との出会いによって将来(しょうらい)を考えることができたということなどが書かれている。
末富さんはふとしたことから生け花(いけばな)を始めることになり、それが自分の一生の仕事(しごと)になった。
その「ふとした」ことは、人によっていろいろだと思う。
本を読むのが大好きで、本屋さんで働きたいと思うかもしれない。
パソコンが大好きで、いつのまにか家族(かぞく)や近所(きんじょ)の人に教えてあげられるようになって、パソコンを教える仕事(しごと)をするようになるかもしれない。
スマホのゲームで遊んで(あそんで)いるうちに、自分でゲームが作れるようになるかもしれない。
自分が「好きだ」と思うことと、「これならできる」と感じる(かんじる)こと、そのふたつがあると、「将来(しょうらい)どんなことをするか」を見つけやすくなる。
そしてそれは、学校に行かなければ見つからない、ということはない。
自分で見つけようと思えば、どこにいたって見つけることができると、私は思っている。
ただ、ぼんやりしていたら、なにも見つからない。
ちょっと気持ちを変えたり(かえたり)、よく見るようにすると、今までとちがうものが見えてくるかもしれない。
そして、そのためには、たくさん「ほかの人の話」を聞くことが、大きな助け(たすけ)になる。
君はまだ子供で、知らないことがたくさんある。
この世界で生きていくには、いろんなことを知っているほうが有利(ゆうり)だ。
「有利(ゆうり)」というのは、私の使っている国語辞書(じしょ)で調べると、こう書いてある。
ゆうり【有利】
1.利益(りえき)があるようす。
2.つごうがよいようす。
「学研 新レインボー小学国語辞典 改訂第5版」より引用
ほかの人とくらべて、勝ち目がある、というような意味(いみ)だ。
小学3年生で学校へ行くことをやめた末富さんが、どうやっていろいろな知恵(ちえ)や知識(ちしき)を自分のものにしていったのかは、この本にくわしく書いてあるので読んでみてほしい。
そして、できればお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、保健室(ほけんしつ)の先生でもいい。
味方になってくれる大人を見つけて、いっしょに考えてもらおう。
君がこれからどうやって大人になるか、いっしょに考えてくれる味方はかならずいるはずだから。