保護者の方へ

当サイトを閲覧いただきありがとうございます。

こちらへたどり着いたということは、お子さんが学校に行かれなくなってしまった、あるいは学校に行きたくないと話している状況かと思います。
親御さんにとっては青天の霹靂、そのご心痛はいかばかりかとお察しします。

申し遅れましたが、私は、小学生の子供を持つ母です。
東京のちょっと西方面の、だいぶ自然の残っているのんびりした町に暮らしています。
子供が進学するとともに必然的に国内外の教育環境や学校内の問題、子供同士のトラブルに関するニュースや書籍を見聞きする機会が増えました。
不登校やいじめは私が子供だったころからありますが、時代の移り変わりとともにその内容も大きく変化しているように感じます。
そして残念ながら、その変化に政治や教育界、我々保護者が追いついていないのが実情ではないかと思っています。

子供が学校に行きたくない理由はさまざまでしょう。
しかし、性別や国籍、出身地、豊かさなどあらゆることがボーダーレスになっていく世界に、日本の「学校」という集合体が対応できないまま周回遅れとなってしまい、「みんな同じ」「みんな一緒に」という手垢まみれの古いやりかたから脱却できず、そのズレがしわ寄せとなって子供にのしかかっているのではないかと個人的には考えます。
そして、学校の門を一歩でもくぐれば、あとは先生に丸投げという日本社会の悪しき風潮もずいぶん前に瓦解したのだろうと思っています。

その現実に、政治家も、教師も、私たち保護者も、対峙しきれていないのではないでしょうか。
そしてそのしわ寄せが子供に向かっているのだとしたら、なんとやりきれないことでしょう。

我が家の子供は不登校ではありませんが、大の学校ぎらいで、いつ「学校に行かない」と言い出すか固唾を飲んで見守る日々です。
もし、「もう学校には行かない」と宣言されたとき、親として子供の教育機会をどう確保するか。
それは考えておかねばならないだろうと思い、あれこれ調べてみるうちに、「学校という組織にしがみつかなくても就学機会はある」ということがなんとなくわかってきました。
また、私自身が集団を好まず、小学校高学年のころから学校という強制的な集団に疑問を抱き続けてきたことも「学校に行かなくてもほかにやりかたがあるはずだ」という思いに大きく影響していると思います。

公立校の場合、たまたま学区が同じというだけで教室ごとに振り分けられただけなのに、趣味も性格もまるで違う子供同士で「なかよく」を強要するのはナンセンスです。
また、「自主性」「個性」など美しい言葉を転がしながら、実際には「みんな」を強制し、そこから一歩でもはみ出せば酷評されるという矛盾を子供に押しつけているのではないかと、ずっと考えてきました。

もちろん、「みんなとなかよく」「みんなと一緒に」できれば、いいに越したことはありません。
社会へ出れば協調性が強く求められます。
(蛇足ですが、私は協調性や集団行動が大の苦手で、長くサラリーマンをやりましたがどこへ行っても苦労しました。協調性はある程度あったほうが楽だろうと思います)
なにより、親として楽でしょう。

「みんなと同じ」は安心だし、楽です。
もめごとが起きにくいので、つい「みんなと同じ」を求めてしまいます。
しかし、自分の意思を持たず、「みんなと同じ」を強要され続けた子供は将来どんな人間になるでしょう。

みんながやっているから、あるいはみんなやっていないから、という判断基準になり、善悪や価値という判断は失われていきます。

みんながやっているから、盗みをやってもいいだろう。
みんながやっているから、人を傷つけてもいいだろう。
戦争だって、みんながいいって言っているから、いいんじゃない?

「みんなと同じ」は、責任を持たなくて済むのです。
努力したり、つらい思いをしたり、居心地の悪さを感じたりしなくて済むのです。

そんな楽ちんで安全なユートピアを、あなたのお子さんは捨てる決意をしました。
武器も持たず、たったひとりで、甘やかなやわらかい牢獄から抜け出ることにしたのです。
誰にも相談できず、ひとりぼっちで悩み続け、何度も後ろ髪を引かれながら、それでも前に進もうと決めたのです。

あなたの大切な、宝物であるはずのお子さんは、手袋も登山ブーツもピッケルも持たずにエベレストを登ろうとしているような状態です。
素手で険しい岩壁をよじ登り、爪ははがれてボロボロになり、寒さで体の末端が凍傷を起こしそうです。
コンパスも持たず、地図もなく、吹雪の中を手探りで進もうとしています。

お子さんには助けが必要です。
いますぐに、あたたかい毛布で包んであげてください。
そんなに無理をして登頂しなくてもいいんだと教えてあげてください。

山を攻略するには、知恵と道具と体力が必要です。
それらを揃えてあげるのは、親の役目ではないでしょうか。

2018年に「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が公布されました。
義務教育期間の児童が学校へ行かれない場合、地方自治体が「普通教育に相当する教育の機会」を確保しなければならないと定めたものです。
こうしたことはもちろん、子供は知りませんから、保護者が行動しなければなりません。
学校以外の就学機会を選択する家庭はまだまだ少ないでしょうし、大変な苦労が想像できますが、それでもなんとかしなければなりません。

お子さんは、これから先の人生について模索する旅へ出ることになったのです。
幼稚園や保育園で先生の言うとおりにするのとはまったく違う、「自分の意思」が芽生えたのです。

私たちが思っている以上に、子供がひとりで羽ばたいていってしまうのは早いのでしょう。
私事で恐縮ですが、私は大変な子煩悩なので、子供がひとり立ちするときのことを思うといまからさみしくてしかたありません。
だからせめて、まだ差し伸べた手を握ってくれるうちに、親として子供になにをしてあげられるのかを考えましょう。

まずは子供の心と体が回復するまで、「なぜ」「どうして」と責めずに、ゆっくり休ませてあげてください。
そのあいだに登山の準備をして、子供が動けるようになったとき、一緒に山の頂上を目指してください。

どうして登山を例えにしたのか自分でもよくわからないのですが(なんとなく思い浮かんだので・・・)、たとえば高尾山に登るとき、登山ルートは7つあります。
我が家は高尾山が好きでよく行くのですが、「稲荷山コース」で行くと、途中で「稲荷山」の山頂を通ります。
599メートルの高尾山頂を目指しているのですが、稲荷山の山頂につくと、とてもいい気持ちでほっとし、そこに座っておにぎりやサンドイッチを食べて休憩することが多いです。

登山に「これでなければいけない」というルートはありませんし、途中の景色も素晴らしいものです。
その景色を、大切なお子さんと一緒にながめながら、一歩ずつ登っていかれることを祈りつつ、このサイトも少しずつ更新していく所存です。

最後に、お子さんは満身創痍でボロボロになっているでしょうが、きっとお父さんお母さんも心労で疲れ果てていらっしゃることと思います。
どうか無理をなさらず、ご自愛ください。