孤独と不安のレッスン
鴻上尚史:著
大和書房
ISBN978-4479303251
この本を書いた鴻上尚史さんは、こうかみ・しょうじと読む。
私の大好きな、劇作家(げきさっか)だ。
親しみを込めて、コーカミさんと呼んでいる。
コーカミさんは、大学生のときに「第三舞台」というプロの劇団(げきだん)を立ち上げ、たくさんの芝居(しばい)や小説、エッセイを書いている。
エッセイというのは、ひとつのテーマについてその人が考えたり気づいたりしたことを書いた文章のことだ。
コーカミさんは、とてもすてきな人で、文章もかっこよくて、本人を見たことがなかったころは、めちゃくちゃかっこいい人を勝手に想像(そうぞう)していたのだけど、コーカミさんが夜中にラジオ番組をやっていて、それを聞いてみたらなんだかとってもヘンな人で、ますます好きになった。
さて、この本は、「孤独(こどく)」と「不安(ふあん)」について書かれた本だけど、それを「レッスン」するという本だ。
孤独(こどく)がどういう意味かわからなかったら、国語辞典で調べてみよう。
わからないことは辞書で調べるのが一番いい。
インターネットでかんたんに調べることもできるけれど、紙に印刷(いんさつ)されたものは、たくさんの人の手によって作られていて、インターネットにくらべてまちがいが少ない。
「孤独(こどく)」を、学研の新レインボー小学国語辞典で調べてみる。
(これは、私の子供が保育園を卒園するときにもらった辞書で、とても使いやすい)
こどく【孤独】名詞・形容動詞
〔身よりや友だちがなく〕ひとりぼっちであること。[例]孤独な生活をおくる。
孤独(こどく)というのは、かんたんに言うと、ひとりぼっちという意味だ。
「不安(ふあん)」はわかるかな?
なにかが心配で、落ち着かないようすのことだね。
「孤独(こどく)と不安(ふあん)」のレッスンをしよう、つまり練習してみよう、というわけだ。
ひとりぼっちの練習?
不安になる練習?
そんなもの、やりたい人がいるわけないじゃん、と君は思うかもしれない。
そんなの、練習なんかしなくたって、いまが孤独(こどく)と不安(ふあん)の毎日だ、と思うかもしれない。
この本は、「孤独(こどく)」と「不安(ふあん)」がどういうものなのかをきちんと知り、それをうまくコントロールする練習をしよう、という本なんだ。
まず、孤独(こどく)とはいったいなにか。
クラスの中で自分だけ浮いている、友だちがひとりもいない、お昼ごはんを一緒に食べる相手がいない。
ひとりぼっちなのは、みんなと同じでいられない、仲間に入れてもらえないことだ。
「ぼっち」とか言うやつもいるよね。
だけど、ひとりぼっちは悪いことだろうか。
なんとなく、さみしいから、クラスの人と遊ぶ。
本当はあんまり好きじゃないんだけど、ひとりはいやだから、いつも一緒にいる。
それを、コーカミさんは「ニセモノの孤独(こどく)」と言っている。
ひとりぼっちははずかしいから、みっともないから、だからだれかと一緒にいようとする。
本当は面白くないのに、笑う。
本当は、クラスのみんなからきらわれてるあいつと、しゃべってみたいと思うけど、そしたら自分がきらわれるかもしれないからやめておく。
「ひとりでいることはみじめだ、かっこわるい、はずかしい」と思う気持ちを、コーカミさんは「ニセモノの孤独(こどく)」だとこの本で書いている。
そう、孤独(こどく)は、べつにみじめでもないし、はずかしいことでもない。
孤独(こどく)というのは、ひとりで、自分以外の世界と向き合うことだ。
たとえば、テレビでお笑いの番組を見ているとしよう。
友だちや家族と一緒にテレビを見ていて、友だちが「このコント、めっちゃ面白いな」と言ったら、君はなんて言うだろう。
本当はあんまり面白くないな、とか、見た目のことをネタにする笑いは好きじゃないな、と思っていても、「そうだね、面白いよね」って言っちゃうんじゃないだろうか。
もし、ひとりでテレビを見ていたら、自分がどう思ったのか、どうしてそう思ったのか、ということを深く考えることができる。
それが少しずつ積み重なって(つみかさなって)、自分はこういうものが好きで、こういうものがきらいで、こんなふうに感じるんだ、という「自分」をしっかりと知ることができるようになる。
孤独(こどく)というのは、だれにもじゃまされずに、自分の心の中を見る時間だ。
人からどう思われるかとか、なんて言われるだろうとか、そういうじゃまの入らない、とても大切な時間だ。
自分のことは、自分が一番よくわかっているって?
だけど、孤独(こどく)になって、じっくり考えると、いままで気づかなかったことが出てくることもある。
こうやって、ひとりでなにか考えるとき、できればとてもヒマで、なにもやることがないようなときがいい。
パソコンとかスマホとかテレビがあると、つい見てしまうけど、そうするとだれか別の人の言葉がじゃまをして「自分の心の中」が見えない。
もし、ずっと自分の部屋にこもっているとしたら、外に出て、なるべく知っている人に会わないようなところへ行こう。
バスや電車で行くような、ちょっと遠い図書館なんかがいい。
本がたくさんあるところは、考えごとをするのにとてもいいからね。
ひとりになって、自分のことをじっくりと考えることができたら、つぎは「不安(ふあん)」についてのレッスンだ。
不安(ふあん)は、生きていれば絶対についてくる。
不安(ふあん)のない人なんて、この世界中にひとりもいない。
人間は、休むことなくなにかを考えているから、なにかを考えていれば、不安(ふあん)はどうしても出てきてしまう。
人は成長していき、いろいろなことを知っていく。
いろいろなことを知ると、不安(ふあん)になる。
だから、君が不安(ふあん)になるのは、いろいろなことを知っているからだとも言える。
孤独(こどく)も不安(ふあん)も、生きていれば当たり前のことなのに、それがどんどん大きくなっていって、君を押しつぶそうとする。
それは、世の中が競争社会(きょうそうしゃかい)だからだ、とコーカミさんは言っている。
「一人はみじめだ」と思う気持ちの中には、「競争(きょうそう)から取り残されたくない」という焦り(あせり)もあります。
「将来(しょうらい)が不安(ふあん)」と感じる気持ちには、「競争社会(きょうそうしゃかい)の負け組になりたくない」という気持ちがあります。
そう思うのは、当然です。
だれも進んで負けたくはないでしょう。問題は、なにを勝ちとして、なにを負けるとするかです。
84ページより引用(一部の漢字を開いています)
プロ野球選手(やきゅうせんしゅ)は、3回に1回ヒットを打てば、歴史(れきし)に残るすごいプレイヤーだと言われる。
100点のうち、67点取れればすごい、ということだ。
100点じゃなければダメだ、と考えると、99点でもダメということになってしまう。
カンペキを目指そうとすると、とても不安(ふあん)になる。
だって、カンペキなんて、めったにできることじゃないんだから。
たまたま100点を取ったとしても、つぎに100点を取れるかどうかはわからない。
100点だけを正解とすると、不安(ふあん)はとんでもなく大きくなってしまう。
コーカミさんは、君にこう問いかける。
0は負け組で、100は勝ち組です。それは明快(めいかい)です。では26点は? 46点は? 67点は?
あなたにとって、何点が満足(まんぞく)するものですか? 100点以外は全部、同じですか?
100点以外は、すべて負け組ですか?
もし、あなたがそう考えているのなら、あなたはとても苦しい人生を送っていると、僕(ぼく)は思います。
87ページ、88ページより引用(一部の漢字を開いています)
どうだろう?
いまの君は、何点だろう。
学校に行きたくない、学校に行かないから0点だと思うだろうか。
当たり前のことだけど、君の人生は学校だけじゃない。
家にいるときも、習いごとをしているときも、道を歩いているときも、君だ。
もし、道を歩いていて、困っている人を助けられるとしたら、それは君のいいところだ。
レストランでごはんを食べて、お店の人に「ごちそうさま」と言えたら、かなりポイントが高い。
(お店の人にあいさつをしたり、お礼を言う子供は、あんまりいないからね。残念(ざんねん)だけど)
点数は、学校のテストだけじゃない。
君というひとりの人間が、君以外の人間に、どうやって向き合っているか。
これからの長い人生では、テストの点数ではなくて、君自身(じしん)がどういう人か、ということが大きな点数になるんだ。
コーカミさんは、人間の気持ち、感情(かんじょう)にくわしい。
なにしろ、お芝居(しばい)の台本を書いて、そのお芝居(しばい)を見た人がどんなふうに思うか、ということを考えるのが仕事だから、人間の気持ちがわからなければもうからない。
だから、きっとだれよりも、人間の「心」というものについて、たくさん考えてきたのだと思う。
人の気持ちをわかろうとする人は、やさしい。
だから、孤独(こどく)と不安(ふあん)に苦しんでいる人を少しでも楽にしたいと思って、この本を書いたんじゃないかなと思う。
この本の中には、きっと「なんだ、それでいいのか」と、君の心を軽くするヒントが書かれているんじゃないかな。